私には四人の不良兄貴がいた。
とは、佐藤愛子著「まだ生きている」の中の一節。
もう少し続けると
長兄サトウハチローは自他共に許す大不良で、上野の美術学校(現在の芸大)の堂々たるニセ学生だった。
あまりに堂々としているので、彫刻の朝倉文夫先生は廊下でハチローを見かけると、
「佐藤は入学以来、作品を提出しないが、
材料がないのなら私があげるから取りに来なさい」といわれたという。
何んという純真な芸術家魂であろうか。
この話を思うとき、私は兄の所業を恥じるよりも、朝倉先生の人となりの大きさに胸うたれる。
この後、美術学校校長と、上野動物園園長とのもっともっといい話は続くのだけれど、
「これから書く話は、今までに何度か書いたり、話したりしたことがるから、既にご承知の方もおられると思うが、」と著者が言うように、私も以前何かで読んだことがある。
何度読んでも胸がいっぱいになって、泣いてしまう。
「後年その話をする大不良ハチローの目にも、涙が浮かんでいた。」とも書かれています。
それほどいい話なんです。
それは本を買って読んでください。
要はそれが「おとな」というものではないか。ということなのです。
昔はいたんですね、大人物たる人が、日本に。
台東区谷中にある朝倉彫塑館(現在修復工事中)、には
2001年8月9日に行きました。